<言語聴覚と真実の探求>
視野は生涯! 数ランク上を目指す!
これまでに言語聴覚学もかなりの発展を遂げてきました。しかし、他の学問分野もそうですが、この分野にもまだよく分からないことや意見の違いが数多く残っています。
後輩にでも教えを仰ぐ
真実が何か分からない時には、真っ先になすべきことは誰かに教えてもらうことです。私は分からない時は、分かっている人に誰にでも教えてもらいます。3年先輩に、5年後輩に、先生に、新人のかたに、その人が良く知っているのであれば誰にでも尋ね、こだわりなく指導を仰ぐ様にしています。もちろんみな親切に教えてくれます。教えてもらえて分かったら「ああ良かった」と思います。それでもし患者の方々の役に立てた時はもっと大きな喜びを感じます。もちろん私も自分に分かることは誰にでもお教えするようにしています。
このように真実がよく分かっている人になら、誰にでも後輩や新人にでも、教えや指導を仰ぎ、真実の前には平等で謙虚であることこそが重要と思います。
指導をするとか指導されるなどは言語聴覚学や社会貢献には何の関係もないことです。
ただ「教えてもらおう」と思っても誰にも分からないこともあり、書物にも記されていないこともあります。その時は自分で真実を探求するしかありません。ただし自分で見つけていったことは本当にそれが正しいのか?やはり常に謙虚に検証していく必要があります。私の身近では皆そうしています。他の人がその様にして探求していった真実には、やはり平等に謙虚に受け入れるようにしています。そこには先輩とか後輩などという思いは全くありません。
言語聴覚学に限らず、学校教育も含めてほとんどの領域で、真実の前には、または患者さんの前では上とか下、先輩とか後輩などよりも、平等で謙虚であるほうが重要だと思います。また私の身近では幸いにして、上や下とか先輩や後輩などにこだわる人には、これまで一度も出会ったことはありません。少なくとも私の信頼のおける範囲には、その様なこだわりを持つ人はおられません。
取るに足らないささいなことにこだわるより、旺盛かつ謙虚、平等であることの方がはるかに重要ですね。そのことこそが仕事に直結し、患者の皆さんや社会に直ちに貢献することになるのです。
言語聴覚学は他分野と同様、教わったり、自身で考え、探求かつ検証していくことも多く、またそれらが患者さんの役に立てばとても良かったと感じ、さらに真実の前の平等と謙虚さを実感できる分野でもあります。
別のページで述べた大学教育も、おそらくどこでなされているどの教育でも、この真実の前での平等と謙虚さを悟り、また患者の方々や社会に貢献することのみを目的に存在するものであり、上や下とか先輩や後輩などを決めるためのものではないと思います。
このように、「先輩」や「後輩」などにこだわることは重要でも何でもありません。しかもそれが一年という短絡なら、なおさらです。言語聴覚士は「職業的なプロ」です。プロであれば視野は当然「生涯」であるべきではないでしょうか。
皆さんは国家試験に合格するためだけに言語聴覚士になりたいのですか?
皆さんは1年先輩になりたいから言語聴覚士になるのですか?
皆さんは1年後輩の人を指導したいためだけに言語聴覚士になりたいのですか?
皆さんは卒後の「即」にしか役立たない知識のためだけに言語聴覚士になるのですか?
そんなことはあり得ません。目標は数ランク上の言語聴覚士です!
あくまでも目標は生涯にわたって成長し続け、発展し続ける言語聴覚士を目
指しておられるはずでしょう!
医療人としての科学としての言語聴覚学を学びたいからに他なりません!
障害に困っておられる患者の皆さんがたに対し、そのかたの障害の本質は何か?どのような検査・訓練・支援が必要か?それらをやはり真実の前に謙虚に考えて見つけていき、それが正しかったのかどうかを検証していく必要があり、それこそが本当に必要なことで、それこそが多くの患者さんの心に寄り添う、真の、数ランク上の言語聴覚士、真のプロフェッショナル、真のスペシャリストの姿ではないでしょうか?
これらを学び取ることは、生涯の心の財産を得ることになります。
視野は「生涯」で、数ランク上の言語聴覚士になることなのです!
そうすれば数ランク上の言語聴覚療法を患者の皆さん方に提供できます。
そうすれば数ランク上の社会貢献が可能になるのではないでしょうか?
私は以上のように、どの様な場で学んだかに関わらず、真実の前に謙虚になり真摯に自分高めていくことこそが重要と考えます。
あなたもそう思いませんか。
是非とも、今からともに学ぼう!
平等で謙虚であるべきです!
一年という短絡にまどわされず、真実を見抜こう!
「生涯」という長期を見据えよう!
数ランク上の言語聴覚士を目指そう!
旺盛かつ謙虚であれ! 諸君!