言語聴覚と基礎科学>

   のスペシャリスト 数ランク上の言語聴覚士 のプロとは?

 仮に「大学で遺伝を学びたい」と思って入学した人が、基礎科学(全学共通科目)として「宗教の科目」を履修すべきか迷っていたとします。

 遺伝と宗教は表面上は関係なさそうに見えます。そこで、もしその学生が「宗教は関係ないし、いらない」と判断したとします。それは正しいでしょうか? 

      宗教遺伝学>

 ここでは、宗教観と遺伝学が時に極めて共通した側面が見いだされる場合があるということを分かって頂きたいのです。

 宗教遺伝共通点と言われても、直ちにには信用できませんね。  

 しかし、次の数行でその状況は転します。

 

 宗教において「先祖をうやまい、子どもを慈しみ、仲間と協力し、子孫繁栄を願う」との思いは宗教観として不自然ではありません。むしろ宗教感の本質に近いかもしれません。

 さらにその宗教観について「親からの形質が遺伝子により子孫に引き継がれ、子孫は新たな形質を獲得し、種と種は協力し合い、さらに環境に適応する。そのようにして、その種は繁栄していく」という考えに共通していると述べれば、それまで無関係に見えていた、宗教観と遺伝学との共通点が、突然に浮かび上がって来るはずです。つまり両者は「いのちの営み」という視点では本質的には似ている可能性があるのです。両者は相互に補い合って、宗教学と遺伝学は発展する可能性があるのかもしれません。  

 このことは別ページのアインシュタインとバイオリンの例と全く同じなのです。つまり見た目だけうわべ捕らわれるのでなく本質見抜く思考力を身につけるべきなのです。言語聴覚学基礎科学との間の相互補完性(互いに補い合う関係)を学ぶべきなのです。

 このような例は他にも多数あります。ニュートリノや iPS細胞を発想する心と俳句を生み出す発想とに、中間子理論と漢詩との間にも、よく似た所があるのだそうです。

 もちろん私が学んだ言語聴覚学では基礎科学的発想に助けられて、患者の皆様方により有効な検査・訓練法をみつけていくことができました。 

 

 以上に関連して、ここでは私の経験の一端のみを簡単にお話ししておきます。私の専門領域はもちろん言語聴覚学です。その中でもとりわけ難聴のお子さん方のことばの獲得を支援する仕事に長年携わって参りました。子どもさん方の言語獲得に対する支援です。

 

    法学子どもの言語獲得>

 お子さんがたの言語獲得について、私は、師に教わり、また自分でも考えに考え続けているうちに、意外にも、そのことと、この社会の法律(法学)との間に深い関連があることに気づきました。  

       子どもの言語獲得と法律との関連です。

    

 そこだけを聞きますと、「何を突拍子もないことを言い出すのか?」と皆さんは仰天されるに違いありません。  私が言いたいことはそこにあります。 

しかし、次にお書いたことを読み進まれますと、突拍子ではないと思われる方も出て来られるかもしれません。

 私達が日々生活をしていくうえでは、法律に触れる様なことをしてはなりません。本来、法に触れないためには、日々気をつけて自分の国の法律を片っ端から暗記していき、日々の行動の一つひとつを自分が暗記した法律と照らし合わせて、そこに問題がないことを確認してから行動に移さなければならないはずです。

 また外国のある国から日本を訪れた人がいるとすれば、その人は日本の法律の全てを片っ端から暗記し、いちいち日頃の自分の行動を暗記事項と照合しなければ、法に触れてしまうかもしれないはずです。

 しかしそんなことをしている人はどこにもいません。誰一人としてそんなことはしないのです。普通に無意識に、何気なく生活し行動していても、通常は法律に触れることはないのです。      なぜでしょうか? 

 それは乳幼児期をはじめとした、子どもの頃に、おやごさん・兄弟姉妹・お友達などの他の人たちとの、普段の触れあいの中で法律の原型を無意識のうちに身につけているためだと思います。その触れあいや法律の原型こそは、言語の獲得とも深く関連していると強く思います。その原型が一方で無意識に行動しても法に触れることない生活を可能とし、他方で言語の爆発的で能動的な獲得を可能とします。

 もちろんそれらの両方は訓練で暗記させられるのではなく、他者との楽しい触れあいのうちに無意識のうちに、身についていくのです。もちろんけんかや叱られる中で分かっていく場合もあるでしょう。

 上の様に子どもの言語獲得と法律との間には深い関連があると思います。

 

 この気づきと考え方は、私が受け持った子どもさんがたのためには大いに役立ってきました。またそのことでは、物事の表面だけを見て、これはいる、これはいらないなどと軽々しく考えていけないという事も学びました。

 

 これこそが基礎科学専門科学相互補完性(互いに補い合うこと)です。

 

特に、真の、数ランク上の、生涯にわたって発展し続ける言語聴覚療法学を学ぼうとする場合は相互補完性に気づくべきです。

   考えてもみてください。新しい発想とは、それまで無関係と思っていた事柄同士を結びつけ、工夫し、考えるということです。患者の皆さん役立つ新しい検査・訓練法を発想検証することは、それまで無関係と思っていた事柄同士を結びつけ、その発想が正しいか否かを謙虚検証することなのです。

 

 つまり言語聴覚学基礎科学は不要と吹聴する所がもし仮にあるとすれば、1~2年という短絡した視点でしか言語聴覚を語ることができない所がもし仮にあるとすれば、そこは浅はかで、数ランクであり、短絡思考に他なりません。 

 何故ならば、そこでは患者の皆さん方に役立つための、社会貢献するための新しい発想を得る機会をみずから狭めている所に他ならないからです。

 

 人間が学ぶことの意味は軽んずることはできません。 まして教育では・・。

 その様な軽率に限って基礎科学を一般教養などと誤った呼び方をしてしまいまうものです。 大学で一般教養を履修しなければならない所は何処にも、1校たりともありませんよ!

  既に別ページで述べたように言語聴覚療法学が基礎科学を含めた大学教育とそこでの研究活動で誕生し、医療そのものも大学における教育と研究を通じて発生・発展してきていることも動かし難い事実です。

 その証拠は即座に示すことが出来ます。言語聴覚療法課程で使用される教科書ならどの分野のどれでも、もちろん心理学子どもの発達についてでも、その執筆者紹介の欄をご覧ください。ここで何も言わなくても、その紹介一見するだけで、そのことの全てが誰にでも直ちにご理解頂けるはずです。

 これは医療だけでなく、全世界発展させ動かしている大きなどこでどの様に生み出されているのか、また、それらが1~2年と、それによる先輩・後輩関係、指導し、されるという短絡した視点で動いているのかどうか、ここで改めて考え直してください。  

 ここでお伝えしたいことは、大学教育について云々することではありません。真実を正しく、かつ謙虚にみつめて戴きたいということです。

 

 それだけでなく言語聴覚学は学際的領域(広範な学問領域を統合したもの)であり、さらなる発展が望まれている領域でもあります。それだけに幅広い知識やうわべ捕らわれない思考力、新しい発想や謙虚な検証が望まれています。また、さらなる基礎研究と発展が望まれている領域でもあります。 

 以上から基礎科学(全学共通科目)と専門科学(言語聴覚学)の連携を修得する重要さが分かって頂けたと思います。それは患者の方々が真に必要とする検査・訓練法とは何かを考え、本質的にとらえ判断謙虚検証し、探求することを可能とします。またその思考過程は言語聴覚療法をさらにさらに発展させていくでしょう。逆にその発想のない言語聴覚学は衰退の恐れがあります。

  基礎専門の科学連携を重視することこそが真に患者の皆さん方の役にたち、その方々に寄り添い患者の皆さんや地域社会直接に貢献することになり、のスペシャリストに、のプロフェッショナルに、の言語聴覚士になることです。またもちろん学んだことの全てを本当に即座に、仕事に直結させ、社会に役立て、数十年の視点で発展することでもあります。数ランク上の言語聴覚士にることです。

 

皆さんもそう思いませんか?

      持つべき視点数十年です!

      人間が学ぶことの意味を理解することです!

 

 特に言語聴覚療法の分野ではものごとを見た目だけで判断することは避け、真実の前に謙虚であるべきです。表面に捕らわれず「考えること」が必要です。そのことの正しさを示す事例は言語聴覚の分野にはおびただしいと言えるほど存在し、それは言語聴覚を真剣に勉強してさえいれば、すぐに分かるはずなのですが・・・。またそのことそのものを理解するためにも、基礎科学という領域にまで見識を深め思考することは大変に重要と考えます。 

 次も既に別ページで説明したことですが、基礎科学や研究と言うと難しそうに聞こえます。またそれは大学でしか学べないかというと、大学は大変に有利ではありますが、大学ではなくても構いません。

 誰でもどこにいても何をしていても、誰からでも学ぶことができます。

小学校で簡単に学んだことから始まり、ちょっと本を読んでも、またたとえ20年後輩の人や新人の人にでも、分かっている人になら誰にでも謙虚に教えや指導を受けようという姿勢があれば、それらは全て立派に基礎科学を学ぶことになります。研究にもなります。

  たとえ後輩や新人の人に教わり・指導を受けてでも、患者の皆さんの役にたつことの方がずっと重要だと思いませんか! つまりそのような旺盛真摯・謙虚な姿勢さえあれば誰にでもすぐにでも出来ることなのです。 

 

 以上、旺盛かつ謙虚思考し、それを生涯の財産へと育てることこそが私たちの基本姿勢です。 1~2年の短絡に惑わされない真の思考力の方が重要です。

 

 

   皆さんもこのような基礎科学的な思考力と謙虚さとを身につけたいと思いませんか? それこそが広く社会人としても大変に重要であり、に職業や社会貢献に直結することだと考えます。人格形成でもあります。

 

 是非とも私たちと一緒に学ぼうではありませんか!

 幅広い学び旺盛・真摯姿勢こそが生涯財産です!

   うわべささいな事1~2年の短絡に惑わされず、

 真実を見抜く力を学び取りましょう!

 

 新しい発想患者の皆さんに、社会貢献しよう!

 

 それこそが数ランク上の言語聴覚療法です。 

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